第9回 勝山・牛首道-3 (福井ライフ・アカデミー連携事業 ふるさと百景ウオーク対象)のご報告です。
10月6日(日) 越前鉄道勝山駅 8時集合 解散場所 谷休憩所
距離:20km
コース:勝山駅⇒浄願寺⇒白山道道標⇒栃神谷⇒杉山口駐車場⇒北谷公民館⇒旧北谷小 ⇒不動滝⇒石畳道⇒谷峠⇒谷休憩所
ウオーク概要:(竹原会員寄稿)
澄明な碧空、のどやかにながるる綿雲、気温21度、すずやかな空気。まさにウォーキングの季節到来だ。 勝山駅に集結したのは80余名。9回目の街道ウォークだが、参加者が逓減しない。勝山駅の標高が120mで、目標の谷峠は919m、なんと標高差799m、距離にして22kmを一気に駆け上ろうという。が、名にしおう健脚者集団だけあって、ペースが速く、落伍者がでない。山道に入っても、そのペースをくずさない。これはしかし、少しムチャですよ。山歩きには、それにふさわしいペースというものがあるんだから。 でもまだ、後ろでブツブツぼやいている。「早う行きたいんやけど、行かせてくれん。どうせ押さえられるんなら最後尾を歩くわ」リーダーに聞こえなくてよかったね。 今日の主題は「白山信仰」と「一向一揆」だろう。いわば白山の禅定道をたどるわけで、さまざまな文化遺跡があるのみならず、今もその強い影響下におかれている。この道を加賀一向一揆の宗徒がなだれをうって下っていったのだ。彼らの足跡が、あちこちに残っているような錯覚さえかんじる。綿密な事前調査のお陰で、いやがうえにも臨場感が高まる。 街中をすぎるあたりから暑くなってきて、アスファルトの舗装道は照り返しがきつい。「水分補給してください」と絶えず言われている。しかし旧道に入ると木陰にフィトンチッドが漂って、急に身体が楽になる。花々が目に優しい。 ハギ、コシアブラ、リョウブ、ウドはもう霜枯れているが、クズはひそかに残り香を送っている。ノゲシ、ノジギク、ミズヒキソウ、タデ、フネツリソウ、ミゾソバ、アキノキリンソウ、は今が盛りだ。特にミゾソバの群落が美しい。路傍のチカラシバ、キンエノコロが足元をくすぐる。ガマズミとコマユミの紅い実が山肌をいろどっている。蝉声はなく、秋草にすだくスズムシの声と、はるか彼方から聞こえる谷川の音が耳朶に残る。 峠の直下、谷集落につく。明治時代には120戸あったのに今は数戸。地元の研究者による説明はなかなかだった。ここの住人がどんな生活をしていたのか、今回の街道ウォークの大きな特徴だが、それがよくわかる。標高500mの、この高山集落で人びとは意外に豊かな生活をしていたのだろうと思う。が、この集落もまもなく消滅するだろう。時の流れ、などというあいまいな言葉でごまかしてはなるまい。限界集落切捨ては、時の政府の政策によったものであることは明白だ。 この集落の入り口では、大日如来の石仏がわれわれを迎えてくれたし、神社の100mほど下には不動明王が鎮座しているという。不動さんは大日如来の化身だから、山岳修験の信仰が今も充分に生きていることが分かる。よし、降りてみてみよう。が、「降りたらまた上らんといかんからなー」というので行かない人ばかり。それでも3人降りていく。滝の傍に20cmほどの小さな不動さん。風化しているが、右手の剣がよく見える。一人が滝つぼに入ったと思ったら、シャツを脱ぎだした。〈まさか滝に打たれるんではあるまい〉タオルを浸して腹を洗い出した。〈あー、よかった〉。ところが「誰もいなかったらパンツを脱いで入るつもりだった」とのたまう。えー、ようやるねー。直後に女性が一人下りてきたではないか。〈ああ、よかった〉。彼の遍路傘には「同行二人」とある。いつでもこれで安心していられるんだね。 猛スピードのお陰で、あっけなく谷峠についた。いや、私が思っている谷峠は今のトンネルのこと。旧道ははるか上にあるに決まっている。標高差200m、道にして2kmあるという。ほとんどの人が登ったのだが、ここでもまた猛スピード、30分でついてしまった。大杉が一本。確かに千年以上たっていそうで、そこが頂上だ。涼しい風が渡っていい気持ち。「泰澄が白山登頂をした時に、ここで弁当をとり、その箸を挿しておいたらこの杉の木になった」とある。泰澄さんは、小杉の皮をむかなかったのだろうか。杉のヤニで、その弁当はさぞかし、ヤニくさかったことだろうね。 近くの「加賀の大杉」もみた。「これは300年ほど若いね」と言ったら「いや、越前の大杉は火事に遭った」と説明された。 下ってクールダウンをするときに見渡すと、落伍者なし。いいウォーキングを楽しんだ。