特別企画『旧街道ウオーク』美濃街道ウォーク第6回目のご報告

旧街道ウォーク17回目 美濃街道ウォーク第6回目(全6回シリーズの最終回)のご報告です。

開催日時8月3日(日) 7時30分~18時30分時

集合場所:JR福井駅東口  ゴール場所:JR美濃白鳥駅 16時20分 ゴール後チャーターバスでJR福井駅へ移動 

スタート:10時(白馬洞)

コース:白馬洞~箱ヶ瀬橋~オートキャンパーズ九頭竜~蝶の湖~東市布地蔵

距離:17km

ウオーク概要:終焉(しゅうえん)!!  みどりしたたる県境の道  白馬洞は霧雨のなか。屹立(きつりつ)せる穴馬の山々がゆくてを阻(はば)む形だ。体感温度は26度くらいかな。薄いモヤに包まれて、ポンチョと傘が動いてゆく。短パンを穿いた男性がちらほら。そのふくらはぎを見て感動。諸君 ! 試みに自分のふくらはぎを鏡に映してみたまえ。贅肉(ぜいにく)をそぎおとして、みごとに整った筋肉だけのふくらはぎがみえることだろう。実はここが第二の心臓。身体の下のほうから、血液を強力に心臓に戻しているのだ。鍛錬の成果は歴然。その上、精神は大自然のなかで浩然の気を養っている。これ以上はない環境だ。嘉(よみ)すべきかな、わがウォーカーたち。 一ヵ月のうちに路傍の花々は大きく変化している。クズはもうほとんど散って路上に散乱しているが、強い芳香があたりをつつむ。ナルコユリのようなギボウシ、薄紫のポンポンをつけたアカバナツメクサ、深紅の小花ミズヒキソウ、ワラビはもう笑い転げて天を仰いでいる。樹上には房状のリョウブの花。伸び上がって自己主張しているのはヤブカンゾウ。フジバカマはほぼ花期がすんでいるが、ススキは小さな穂を出している。おそいクサイチゴが食べごろなのだが、忙しくて立ち止まれない。時速何キロ?  うん、5.5kmかな、6kmはない。あれがマタタビ。ハンゲのように葉が白く、今はもう実をつけている。これを焼酎漬けにすると強壮剤になるよ。これによく似たサルナシは生食でほんとにおいしい。あっ、あそこにたくさんなっている。また、群れを成すトチの実は空を向いて広がっている。収穫には少し早い。 下半原ふれあい湖畔。道路の下は広場、ライブなどをやる。入り口に校倉(あぜくら)造りを模した小さな建物。湖畔のパラソルの中ではコイを釣っている。小雨でササニゴリになり、少し釣れるかな。ダム湖を過ぎると、清流になる。アユつり人もここにはいない。渓流釣りの絶好のポイント。おもわず右手がうなる。「この川の水、のめるかしら」「飲める、なんてものじゃないよ。水道よりずっと安心」などと言う会話。なにしろ、でかい碑(いしぶみ)がやたらにある。中国人みたい。まあ、紙は燃えてしまうから、石に彫ってしまう。すると末代まで残るからねぇ。「ふるさとの碑」「造林記念碑」「勝三桜」。 草の間からひそやかに虫たちがすだきはじめた。上半原のドライブイン九頭竜で休憩。ここでダム湖は終る。ようやく本物の旧街道が始まる。前に広がるオートキャンプ場にはだれもいない。ドライブインの主が出てきて、話しかける。握手したりして「10年後にも来るからね」とやっている。そのいきごみやよし。「あのね、ネムの花はなんで夜になると閉じるんでしょう」「えーっ、それはネムの花に聞いてよ」。眠っているわけではないが、マメ科の花はだいたい夜になると休眠活動をすることは分かっている。その理由はあまり分かっていないようだ。ネムは「合歓」と書く。中国人は「睦(むつ)びあう」と見て、夫婦和合の木として珍重している。やはり綿毛のようなななよした女性は可愛いかったのか。 東市(ひがしいち)布(ぬの)。ここが福井県の最果ての地。ここにも碑だ。河川敷のあたりは意外に広い。広い田んぼだったと思われるが、今はいちめんの杉林。外材のおかげで、この木は1000円にもならん。変な時代になったねえ。 分岐点からR158に入る。右の高速道路はまだ無料だが、故意に古い道を選ぶ。そろそろ九頭竜川の源流に近い。正確には峠に湧き出ている一滴の水を源流というのだろうが、すでに源流に近い独特の雰囲気を漂わせている。このへんで釣ったらでかいイワナが釣れるんだけれどなあ。 12;00 いよいよ本物の旧街道にはいる。油坂峠。ボッカがここを越すのは「あぶら汗をしぼるほどにきつかった」ところから名づけたという。スタッフは藪を切り開いてくれたらしい。いやー申し訳ない。落葉散り敷く、細い山道になる。古人はこの道を通ったわけだ。すれ違いができない。馬は何とか通れたかと思うが、馬車は無理だっただろう。こんな所で山賊がでたら、まずお手上げだろうね。伐採後50年くらいのブナ林があらわれる。雨にぬれて幹が美しい。ガスがかかって水墨の山水画の中をたどっているようだ。 とはいえ、15分ほどで峠の頂上だ。20畳ほどの広場。自然石の名号碑。そして、お目当ての「蝶の水」。ここにも大きな碑。「峰高う 涌(わく)恵みの 清水かな 友佐坊」とあり、裏面に説明がある。 曰く。世に名高き油坂峠、往来の人馬の苦労をみかねてここに井戸を掘ろうと一念発起。ところがなかなかでない。ついに神仏の加護を祈って掘ったら清水が湧き出た。そこに蝶々のむれが飛んで来て、清水に影を落としたので、蝶の水と名づけた。舞ふ蝶も影をうつせし清水かな 今はもう、チョロチョロとした湧き水。でも、これは一口飲まずんばあらず。笹の葉でカップを作って飲んでみた。うーん、いける。 ここで昼食。小雨ふりしきる峠の広場。まさか立っているわけにもいかず、傘をさして、しゃがんだままでおにぎりを喉に押し込む。得難い体験。なんと、超小型扇風機を胸から吊り下げて歩いているお嬢さん。扇子をもっている人もいるんだって。多士済々(たしせいせい)のウォーキング。 下山。リーダーが先頭、ついで女性、最後尾を男性という順。先に行く人は露払いをしてくれるので、実は後ほど楽なんだけどね。深いガスのために深山(しんざん)幽谷(ゆうこく)に紛れ込んだような風情。 降りた所は岐阜県の向小駄良という。ムカイコダラ。「郡上かわさき節の文句に、むかいなーこだらの牛の子ヤレ 親が黒けりゃ子も黒い というのがありましてね。ムカイコダラは著名な場所のようですね」「昔、福井県だったころの石徹白にいったら徹夜で踊っていましてね。七両三分のハルコマハルコマなんて歌っていました」。そう郡上節には10種類ほどもあって、春駒をうたった軽快な踊りも有名なのだ。 油坂桜パーク 1:30  休憩。ここは標高600m。「美濃桜33選」などという看板もあって、やたらに桜にこだわっている様子。 岐阜県に入ると、油坂峠のうえからは、はるか下に白鳥の町並みが俯瞰(ふかん)できる。有料の中部縦貫道はとんでもなく高い橋脚を縦横にめぐらして、ちょっと怖い。とんでもない金がかかっているように見える。「この花はなに?」「ああ、そいつはウバユリ」「えっ」「おはあちゃんのユリ。あなたのことではないよ」「道理で薄ぎたないと思った」「いやいや、とんでもない。豪華なヤマユリの王様です」 向小駄(むかいこだ)良(ら)番所(ばんしょ)跡(あと)。小さな入母屋作りの家屋があり、ここの自治会長の佐藤さんが説明してくれた。依然、雨の石畳に蹲踞(そんきょ)したまま。佐藤さんの話は、この街道の歴史に始まって多岐に渡ったが、番所のところだけを抜き出すと以下のとおり。関所というものは秀吉の時代に廃止されていたが、江戸時代になると、各藩が、代わりに番所を設けて安全取締りや徴税をした。郡上藩だけで17箇所あった。ここも重要な交通の要所なので、役人が常駐していた。取調べを受けるお手つき石や荷物おき場所としての石も残っている。武具などは太平洋戦争後、GHQがもっていった。 この建物のすぐ下に「桜守 佐藤良二君」という大きな碑がある。この人は国鉄の車掌さんだったが 太平洋と日本海をさくらで結ぼうという壮大な計画を立てた。御母(みほ)衣(ろ)ダムのところにある桜が枯死(こし)しかかっていたのを、手当てして生き返らせ、その桜を拡げようとした。この話はNHKでも放映されたし、中学の教科書にもなった。残念ながら47歳で没した。  うーん、知らないことが多かったよ。三大関所のことなどは分かっていたが、こんなところに番所が在ったことや、この地が桜に関することで有名だというようなことは、目から鱗のことばかり。面白かったね。 最終の「白鳥観光協会木遊館」に向かう。ひろびろと開けた、すみやすそうなところ。こぢんまりした鄙(ひな)の街という印象が強い。缶ビールを売っていないのには参ったがね。どういうわけか「民宿街」がある。こんなところに宿泊を目的にくる人がいるということなのだろうが、スキーかな、避暑かな。考えてしまった。  小雨の中で、とても素敵なウォークができましたね。このくらいの企画になると、これはもう全国的に見ても著名なものだと思います。そう、歴史に残る、といっていいでしょう。われわれは今、その新たなる歴史の中にいるわけで、いわば「歴史の証人」なのです。 

 さて、来月は鎌倉街道。井上雪『北陸の古寺 下』によれば、この街道は越前府中から「いざ鎌倉」という時に馳せ参じる最短距離だという。まずは池田へ向けて歩く。池田は聞くのと見るのとでは大違い。いってみると、まことに「くにのまほろば」のおもむきをたたえている所。北条執権が逗留(とうりゅう)したのもむべなるかな。

 あいまみえる日を楽しみにしているよ、諸君。

    再見(ツァイチェン)         (竹原)